2025年春クールの話題作、『薬屋のひとりごと』第二期がついに最終話を迎えました。その中でもひときわ印象的だったのが、かつて桜蘭と名乗っていた少女が「玉藻(たまも)」と名を改め、玉でできた蝉(せみ)を手に旅立つシーンです。
さらに、彼女はその直前、狐のお面をつけて祭りに参加していました。
この演出に、ただの演出以上の意味を感じた方も多いのではないでしょうか?
今回は、この場面と日本各地に伝わる「九尾の狐」の伝説、特に「玉藻稲荷神社」とのつながりについて、少し深堀りして考察してみたいと思います。
■ 桜蘭から「玉藻」へ〜 名前の意味に隠された暗示
まず注目したいのが、「玉藻」という名前です。
これはただの美しい名前ではありません。
日本神話・伝説において「玉藻前(たまものまえ)」とは、平安時代に現れた絶世の美女でありながら、その正体は九尾の狐だった――という物語に登場する妖艶な存在です。
『薬屋のひとりごと』における桜蘭もまた、美しく、謎めいており、ある種の“演じる”力を持つ人物でした。彼女が自ら「玉藻」と名乗ったことは、ただの偶然とは思えません。
■ 玉でできた蝉は、“変化”と“脱皮”の象徴
彼女が旅立つときに持っていたのは、玉でできた蝉。
九尾の狐伝説では、狐は「蝉」に変身して、木の陰に隠れてました。(その後、見つかっちゃいますが)
蝉の抜け殻は、古来より「生まれ変わり」や「魂の移動」を象徴する存在とされてきました。これまでの桜蘭を脱ぎ捨て、新たな「玉藻」として生きる――そんな決意がこの蝉に込められていたのではないでしょうか。
玉という素材もまた、神秘性や高貴さを帯びています。「玉藻前」と重なる部分が、ここにも垣間見えます。
■ 狐のお面と祭り〜「玉藻稲荷神社」へのオマージュ?
物語の後半、彼女が狐のお面をつけて祭りに参加するシーンがあります。
日本の祭りと狐面といえば、やはり「稲荷信仰」を連想する人も多いはず。中でも栃木県の那須町にある「玉藻稲荷神社」は、玉藻前を祀ることで知られています。ここでは毎年「九尾祭」と呼ばれる祭礼が行われ、狐面をつけた人々が集います。
桜蘭の狐面姿は、この「九尾の狐」伝説、そして稲荷信仰の象徴ともいえる狐と、どこか重なるように見えます。
■ 「薬屋のひとりごと」に込められた、古代伝説の再構築
『薬屋のひとりごと』は、ただのミステリー恋愛物語ではありません。
陰謀、宮廷劇、人間の内面――さまざまなテーマが絡み合いながらも、随所に日本や東アジアの神話や伝説を感じさせる演出が散りばめられています。
桜蘭の最終的な変化、そして「玉藻」という名前の選択は、まさにその集大成のようなものだったのではないでしょうか。
九尾の狐――千年を生き、さまざまな姿に化け、人々の前に現れる存在。それは人間の「欲」や「変化願望」の象徴でもあります。桜蘭=玉藻の物語は、それを静かに、しかし力強く語ってくれたように思います。
■ 最後に
「薬屋のひとりごと」第二期のラストは、とても静かで余韻を残すものでした。桜蘭が「玉藻」となり、自らの人生を再び歩み出すその姿は、視聴者の胸に深く残ったことでしょう。
その背後にある「玉藻前」「九尾の狐」などの古代伝説に想いを馳せながら、もう一度、彼女の旅立ちを見返してみるのも良いかもしれません。
きっと、あなたの中にも新たな“解釈”が芽生えるはずです。
