「ねぇ、そろそろ、顔合わせのこと考えようか」
六本木のダイニングバー。
彼女がワイングラスを揺らしながら、そう言った。
顔合わせ──両家が正式に「うちの子をよろしくお願いします」と頭を下げる儀式。
もちろん、結婚するなら避けては通れない。
だけど、正直、俺の頭の中にあったのはこんな程度だ。
「まぁ、都内のホテルラウンジでランチして、ちょっと固い話して、それで終わりでしょ?」
──そう、甘く見ていた。
結婚という“文化摩擦”に真正面からぶつかる夜が、静かに始まっていた。
東京の常識は、地方の非常識。
彼女は地方出身で、大学から東京に引っ越してきた。
親は今も地方都市に住んでいて、保守的な価値観を持つ家庭。娘を東京の大学に行かせるのだから、相応の意識と、社会的地位、財産があるのだろう。
一方、俺の親は、ずっと東京暮らし。
基本ドライで、合理主義。
最初にズレたのは、「顔合わせ、どこでやるか?」だった。
うちの母は言う。
「東京駅に近いホテルかレストランでやればいいじゃない。個室でも押さえてさ」
彼女の母は、遠慮がちに、でもはっきりこう言った。
「やっぱり、一度、家に来てもらって、ちゃんとご挨拶してほしいの」
──え、家に行くの?
東京で気軽に済ませるつもりだった俺は、早くも困惑する。
顔合わせの基本──本来は「男が女の家に出向く」
後から知ったが、昔ながらの作法では、
• 男性側が、女性側の家へ出向く
のが正式。
「嫁入り」文化が色濃かった日本では、
男性が頭を下げに行くのが“礼儀”だった。
今どきの東京では、ホテルのレストランで中間地点顔合わせが普通になってる。
でも、地方では、まだ「家に来るのが筋」という考えが根強い。
──そうか。これは「どっちでもいい」話じゃないんだ。
彼女の親が望むなら、行くしかない。
親たちの静かな火花
場所だけじゃない。
うちの父は、こう言い出した。
「向こうが呼ぶなら、先に招待の連絡をするのが礼儀じゃないか?」
彼女の父は、
「嫁に出す側がお願いするのが普通だろう?」
と別方向のこだわりを見せる。
誰も怒鳴ったりはしない。
でも、プライドと世間体が、静かに火花を散らしているのがわかる。
──顔合わせって、ただの食事じゃない。
これ、両家の“文化戦争”なんだ。
結納、やる?やらない?問題
さらに、話は結納に及ぶ。
「うちの方では、昔は結納金を持参してたのよ」と彼女の母。
一方、うちの母はきっぱり。
「今どき結納なんてやらないわよね? 面倒なだけだし」
結納とは、簡単に言うと、
• 正式に婚約を成立させる儀式
• 結納金(嫁入り支度金)を渡す文化
昔は必須だったが、今はやるカップルは少数派。
ただ、地方や家柄によっては、
「結納をナシにする=うちの娘を軽く見た」
と受け取られることもある。
結納を省略するなら、ちゃんと「略式顔合わせ」と説明する。
そして、相手親へのリスペクトは絶対に忘れない。
──面倒でも、これが大人のたしなみだ。
仲人と媒酌人の違い、誰も教えてくれなかった
さらに、彼女の親からこんな提案も。
「媒酌人、どうする? おとうさんのお友達の山田さんに頼もうかって話してたの。ほら、取引先だし、ロータリーの会長だし。それとも大学のゼミの教授にする?」
──媒酌人?仲人?
ここに来て、俺の頭は軽くパンクする。
ざっくり整理すると、
• 仲人:出会いを取り持った人。結婚後もお付き合いが続く。
• 媒酌人:結婚式当日、両家の紹介や進行をする役割。
今は媒酌人を立てないカップルがほとんど。
でも、地方ではまだ“仲人はいなくても媒酌人がいないと格好がつかない”と考える親世代も多い。
この問題も、「今どき不要」と切り捨てるより、
相手側の顔を立てる判断が必要だった。
そして、覚悟を決めた夜
結局、顔合わせは、
• 彼女の実家で
• 略式結納スタイルで
• 仲人ナシで
進めることになった。
スーツを新調し、手土産を用意し、髪型もきっちり整えた。
思えば、これまでの人生、
「自分がどうしたいか」しか考えてこなかった。
でも、結婚は違う。
「自分たちがどう見られるか」
「親たちがどう納得するか」
すべてを考えなきゃいけない。
それが、
大人の男に変わるプロセスなんだと思う。
最後に──顔合わせは「外交」だ。
• 顔合わせの場所は、女側に寄せろ。
• 結納をやるかやらないかも、女側の顔を立てろ。
• 媒酌人問題も、「伝統のため」と割り切れ。
最短ルートで言うと、
「彼女とその親の期待を、スマートに超える」。
それができたとき、
初めて“家と家”をつなぐ一人前になれる。
港区の夜景を背に、そう、心に誓った。
──ジントニックを一杯、いつもよりゆっくり飲み干しながら。