「ねぇ、そろそろ結婚式の話、ちゃんとしない?」
赤坂のバーで、いつものように二杯目のジントニックを頼んだ瞬間、彼女がそう切り出した。
…この空気、苦手だ。
恋人として、いや大人としての責任はわかってる。だけど、正直に言えば「式って必要か?」って思っていた。
高いし、面倒くさいし、そもそも“うちの親戚とか、あんまり関係ないし”。
でも、それが「完全に甘かった」ことに気づくのは、もう少しあと。親戚と、お祝いと、そして“女側の本音”に、無防備だったあの頃の自分に、今ならそっと言いたい。
式をしなかったあとの、土日の正体
結婚式をスキップして、そのぶん海外旅行かマンションの頭金にでも回す。それが“令和の合理性”だと本気で思ってた。
でも、いざ両家で結婚報告を済ませたあと、うちの母が静かに言った。
「じゃあ、中川のおばさんのとこには、あんたたちで挨拶行ってきてね」
……え?
さらに翌週、「下川の叔父さんにも行っといた方がいい」とリストが増える。
なんなら、「ついでに一郎くんちの上川さん(※近所の人)」までリストに入っている。
気づけば、土日は“親戚挨拶マラソン”になっていた。
ご祝儀という“ナマモノ”を、甘く見るな
結婚式をしないと、お祝いは個別に渡される。
「あとで何かで返してね」とか
「お祝いだから、気にしなくていいよ」なんて言葉もついてくるけど──
その「気にしなくていいよ」が、一番気にしなきゃいけない爆弾だったりする。
金額の差、タイミングのズレ、返し方の不一致…。
地方出身の親たちは、「内祝いは自分たちで手配しといて。結婚したのはあなたなんだから。」なんて言い出す始末。
ああ、式って、「金銭の整流装置」だったんだ。
「女の子の夢」って、意外と重い
それにしても、彼女はそこまで「式」にこだわってないと思っていた。
でも、いざ話し合いになると、
「私はどっちでもいいけど、うちの親が…」
「おばあちゃんが、花嫁姿を見たいって…」
「親が“うちが遠慮してるって思われるのが嫌”って…」
──ああ、“どっちでもいい”って、どっちでもよくないやつじゃん。
本当は、彼女もしたかったのだ。
ただ、自分が「面倒だ」って顔をしていたから、口にできなかっただけ。
そのことに気づいた瞬間、思わずジントニックのグラスが止まった。
結論:式は「しきたり」ではなく、“将来のトラブル回避装置”
別に豪華な式じゃなくていい。
都内のこじんまりした会場で、親と親戚と少しの友だちだけでもいい。
でも、やっておけばよかったと思うのは──
何かあったとき、「ちゃんとやったから」と言える安心感があるからだ。
結婚式は、女の夢と、親の顔と、金銭の整流を一気にクリアする、ある種のセーフティパス。
コストを考えるなら、逃げないほうが得だったのかもしれない。